「みらい」のかこ(過去)

「みらい」がどのような経緯で誕生したか。「みらい」の誕生から現在までを当社の西村 一 調査役に伺いました。

    1984.7:科学技術庁研究開発局海洋開発課

    1987.4:船舶技術研究所企画室

    1988.9:宇宙開発事業団宇宙ステーション開発本部

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    1995.10:海洋科学技術センター

    2003.1:グローバルオーシャンディベロップメント調査役

――まず、「みらい」誕生の経緯から。

西村: 三つの要因があったと思います。まず1982年から83年にかけて、非常に大きなエルニーニョ現象が発生し、全世界で1兆円規模の大きな被害が出たことです。 アフリカのサヘル地方でも悲惨な干ばつ被害があって "We are the World" という救済キャンペーン・ソングがヒットしたこと覚えていますか? それ以来、気候変動が社会経済にとって大きな脅威となりうることが理解され始めました。

ちょうどその頃、日本はバブルの絶頂期で大型の国際貢献プロジェクトを探していました。 それで、1987年にJAMSTECの「なつしま」で日本初のエルニーニョ観測が行われ、赤道太平洋にブイを展開したり、 観測空白域となっている荒天海域の観測が必要といわれようになりました。

一方、原子力船「むつ」を実験航海後に廃船するという方針が1985年に決められ、後利用の検討が開始され、観測船への転用が最適という結論が出されたわけです。 こんなことが重ならなかったら、こんなに大きな観測船は誕生しなかったんじゃないでしょうか。

切手化された「原子力船むつ」
1969年6月12日年発行

――どのような改造がおこなわれたのでしょうか?

西村:改造の基本は荒天海域でも安定した調査観測を可能にするということでした。
まず、1995年、船体を原子炉の前後で3つに分割し、原子炉区画はむつ市関根浜に陸揚げしました。
居住区の多い前半分はかなりの部分をそのまま流用しましたが、観測装置や機関室のある後半分は、下関でそっくり造り替え、翌年、東京で前半分と接合しました。

新造した方が合理的では?とよく訊かれましたが、決まった予算で新造するとどうしても一回り小さくなって、荒天海域での能力も低下するので、旧船体の前半分を流用することになった訳です。
船首形状はほっそりしたV字型で、荒天中や氷海中での観測のときには、水中機器の障害となる気泡や氷片が船底に溜まりにくいという利点がありました。

――原子炉は、どうなったのでしょう?

西村:安全な措置が施された上で、海洋研究開発機構むつ研究所の近くにある「むつ科学技術館」に保管展示されています。 ここには他の関連施設とか科学技術の面白い体験コーナーがありますからぜひ見学されることをおすすめします。

――「むつ」の船体を2つに分割して違う会社の造船所で改造し、また結合させたとか…
    あまり例のない事ですがそこには、色々なご苦労が…

西村:私たちが苦労するのは当然ですが、各造船所の技術者の方々のご苦労は、大変なものでした。
それぞれの会社の社外秘となるようなモノまでもお互いに公開し合って造りあげました。 あの時の熱気と一体感が懐かしいですね。

それから今でも不思議に思っていることがあるんですよ。 前半分と後半分を合わせたら、だいぶん食い違っていたんです。「むつ」の建造時には図面どおりという訳にもいかなかったのか、 それとも長い間に変形したのか。一方、新造の後半分は図面どおりですから。 ところが次の日に見てみたら、ぴったりとくっついていたのにはびっくりさせられました。

――船体の改造もさることながら、建造目的の違う船体を観測船として使う上で観測上色々と問題が…

西村:なんといっても乾舷の高さが大論争になりました。 それまで高緯度の荒天海域は観測空白域となっていました。 造船所はそこでの採水作業がどんなものか知らない、研究者は代案を考えてくれない、船員は自分の経験しか信用しない・・・(笑)。

結局、作業甲板全体を下げるとブイや分析研究室が収まらないので現状のようになりました。 その結果、荒天退避する必要がなくなった分、観測空白域だった海域でずいぶん観測できるようになったのですが、 作業可能なシーステート(風浪階級)自体が上がったとは言えません。 

就航後に「みらい」は横波中でずいぶん安定していることが実証されたので、 船体中央の風下側でCTD採水するよう、クレーン、船内へのリフト、研究室の配置を再構成すると、もっと使いやすくなるでしょう。

そのほか船首にできる首飾り渦が大きいとか、多くのミッションを兼務するゆえの問題はあるのですが、 致命的な欠点というのはないのでは・・・。むしろ地球規模の現象を研究する観測船としては、「みらい」がこれからのスタンダードになると私は思っています。

       幻の原子力海洋研究船「むつ」
ずいぶん後で知ったことですが、「むつ」が1967年に特殊貨物船として建造契約される前は、海洋観測船として計画されていたんですね。

ところが1965年に建造予算が低すぎて入札が成立せず、予算が追加される際に、収入の上げられる特殊貨物船に変更されたそうです。 「むつ」が最初から貨物船として設計されていたら、観測船への転用は矛盾だらけになったかもしれません。

結局、当初の計画から観測船として1997年に完成するまでに32年も回り道したことになりますね。

原子力研究船「むつ」断面図(構想)


――改造にあたってのエピソードとかお話いただけませんか
西村:「みらい」という船名に決まって、内装を未来の観測船に相応しく、自然と調和したデザインとするようずいぶん悩んだのですが、たくさんの流用扉や家具との調和を考えて、結局、「むつ」の船内イメージを引き継ぐことになりました。
地球環境を守る船をリサイクルで造ったことが見学者に伝わってくれればと思います。

――西村さんの現在のお仕事は「みらい」と直接関係ないと思いますが、研究者や船員、観測技術員の
   方々に一言いただけますか
西村: 冬期に高緯度で観測できるようになったのは「みらい」が初めてといってよいわけですから、観測効率をもっと上げるために工夫・改良の余地がたくさんあって当然と思います。これからも努力して一つ一つ解決していって欲しいと思います。
海洋地球研究船「みらい」誕生秘話【西村氏個人のホームページ】